現に、東京や大阪など都市部では、ファッションセンターしまむらの店舗はそう多くは見かけないですし、ファッションセンターしまむらは広告をするといっても、新聞の折込チラシで時々見かける程度といった印象です。総じて地味といった印象です。
しかし、ファッションセンターしまむらの成長ぶりは、他の洋服店を寄せ付けない圧倒的な勢いがあります。それは一体なぜなのでしょうか。その秘密は、ファッションセンターしまむらの一見地味と思える戦略にあると考えられます。
▲近年は、東京23区内にも進出したファッションセンターしまむら
一般的に、洋服店は、流行やトレンドによって大きく左右されます。ですから、東京の原宿や六本木といった流行の発信地や、テレビ局や出版社などメディアとの連携をとりやすい地に店舗を構えて派手なブランドイメージをつくるというのが成功の鉄則だった時代もありました。
しかし、ファッションセンターしまむらは、それとは全く逆の戦略をとってきました。近年は、東京、横浜、大阪といった大都市にもずいぶん店舗を増やしてきましたが、それまではファッションセンターしまむらというと、地方限定の安い店といったイメージを持たれがちでした。現に、ファッションセンタ−しまむらの店舗は、他の洋服店が歯牙にもかけないような、地方の辺鄙な土地に店舗の多くが点在しています。
そういった、ファッションセンターしまむらのとってきた戦略は、一見すると消極的で地味に映るかもしれません。しかし、それは、とても積極的で強い意志を盛り込んだ戦略だったのです。
ファションセンターしまむらが地方の辺鄙な地にばかり店舗を構えたのには理由がありました。それは、地方には、目立つことはないものの大きなマーケットが存在することに、しまむらの社員たちは気づいていたからです。そこには、実用性が高くかつ個性的なコーディネートをできる洋服が欲しいという、中高年の主婦たちのニーズがありました。
他の洋服店が、賃料の高い東京のど真ん中に次々と進出して激しい競争を繰り広げる中、ファッションセンターしまむらは、地方の辺鄙な地に店舗を展開し 少ない利益を着実に積み上げていきました。地方のまちは、土地の賃料も安いうえにライバルとなる洋服店が周囲にないだけに、ファッションセンターしまむらはまさに一人勝ちといった状況になりました。
ただ、ファッションセンターしまむらは、それで満足はしていませんでした。ゆくゆくは東京24区をはじめ都心部にも進出することを夢見て、常に新しいものを生み出す努力を重ねていったのです。そしてファッションセンターしまむらは、販売のみならず、在庫管理から物流に至るまで、全て自社で完結するという画期的なシステムを確立したのでした。そこでは、コンピューターや機械の制御による徹底した効率化も行われ、経営リスクを大きく減らすことに成功したのです。
なお、ファッションセンターしまむらは、自社で商品開発をするといったことは少ないですが、それも、リスクを減らし自分たちしかいない独自の土俵をつくる方針の一貫かもしれません。なぜなら、ユニクロをはじめ、商品をデザインしたり開発したりする洋服店・メーカーは星の数ほどあるからです。そうなると、他の洋服店との勝負はまぬがれず、場合によっては勝負に負けてリスクを負うことになってしまいます。
ファッションセンターしまむらは、そういった勘あってか、自分たちで商品を開発することはあまり積極的にはなりませんでした。その分、仕入先に力を入れました。ファッションセンターしまむらの仕入先は、500以上を数え、その数は全国の洋服店において、指折りの多さです。そしてファッションセンターしまむらは、それだけ多い仕入れ先から よりすぐりの衣類を仕入れることで、他の洋服店には真似のできない品ぞろえの良さを実現したのです。
なお、多品種・多種類の衣類を仕入れることは、それは他の洋服店が真似をしようと思ってもなかなかできないことです。それは、物流はじめ問屋を通さないで自社ですべて完結するシステムを構築したファッションセンターしまむらだからこそなし得る技なのです。
全都道府県に店舗を構え、ファッションセンターしまむらは、万を持して、東京や大阪など賃料の高い都市部や海外にも進出していきます。堅実にノウハウとシステムを構築してきたファッションセンターしまむらは、都市部においても堅実に業績をあげてきています。
さらに、世界のトレンドや流行をとりいれた洋服を品揃えしたり、益若つばささんら人気モデルとのコラボ商品を開発したりするなどして、ファションセンターしまむらは、他の洋服店には負けないブランド構築にもつとめています。
かつては平凡な洋服店にすぎなかったファッションセンターしまむらは、いつしか全国に1000店以上の店舗を構える巨大ブランドへと成長しました。それに至るまでにファッションセンターしまむらがとった、地方の辺鄙な場所に店舗を構えるという戦略は、消極的では決してなく、むしろ積極的な戦略だったのです。他の洋服店が手をのばさない場所で、他の洋服店がやっていないシステムを構築することで着実に利益を上げる戦略だったのです。また、地方に店舗を展開していた時期も、都市部でもいつか勝負をするという明確な方針を立てていたようです。ファッションセンターしまむらは、今後東京の中心街や海外都市への店舗展開も考えているのだとか。いったい、しまむらはどこまで伸びていくのか、今後の展開にますます目が離せません