▲東京都内でも店舗開発が進む 洋服店のファッションセンターしまむら
洋服店ファッションセンターしまむらの動向をメディアなどを通して知るたびに、イソップ寓話にでてくる「ウサギとカメ」の物語の「カメ」を思い出します。「ウサギとカメ」は、足が速いウサギと足の遅いカメが競走をし、最後はカメが勝負に勝つ話です。
10年ほど前までは、ファッションセンターしまむらといえば、ローカルな洋服店にすぎず、世間から注目を浴びることがほとんどありませんでした。実際のところ、洋服店のファッションセンターしまむらは、地方の辺鄙な地でばかり店舗開発を行い、その動きは、まるでカメのごとく、静かだったのです。
また、2014年現在でも、東京や大阪といった大都市には数10店舗しかファッションセンターしまむらの店舗はなく、各都道府県における人口比率からすると、大都市はもぬけの殻といった状況です。ただ、そのように店舗開発を進めたのは、洋服店ファッションセンターしまむらの、他の洋服店の勝負に勝つための、戦略だったのです。
ここ10数年、他の洋服店は東京の中心で熾烈なブランド競争を繰り広げてきました。不況ゆえに消費者はあまり洋服にお金をかけないわけですから、新しいブランドを立ち上げたそれぞれの洋服店は、次々と東京から撤退を余儀なくされ、まさに生きるか死ぬかの勝負をかけた戦国時代の様相でした。そのようななか、ファッションセンタ−しまむらはというと、地方のまちで店舗開発をコツコツつづけていたのです。
他の洋服店が、東京のど真ん中で強いライバルたちとつぶしあいをしながら、東京の店舗を守るのに四苦八苦していた期間、ファッションセンターしまむらは、地方の安い土地で店舗開発を行い 一人勝ちを収めながら、小さな勝利を重ねていたのです。そして、毎月のように新しい店舗を増やし、その数は、いつしか1000店舗を超えました。今や、地方のまちに行ったら、ファッションセンターしまむらの店舗と必ずどこかで遭遇するといったほどまでにファッションセンターしまむらの地方での商圏制圧率はすごいです。
ただ、しまむらは地方で店舗開発をすることだけで満足してはいませんでした。虎視眈々と、都市部にも進出して店舗開発を行う計画を進めていたのです。洋服店のファッションセンターしまむらの店舗開発の戦略はこうでした。まずは土地の賃料が安い地方でまずは地盤を固め、万全の流通システムを確立したうえで、いずれ、東京23区をはじめとする大都会に一気に攻め上がると。
ただ、しまむらはとても慎重でした。というのは、東京23区など都市部は、地方のまちで店舗開発を行うのとはわけが違っているからです。都市部の土地代は地方と比べて軒並み高く、駐車場の負担金や家賃などが経営を圧迫するリスクが考えられたのです。また、都市部は土地が少ないため、ビルのなかに店舗を構えるというスタイルしか基本的にありませんが、そうなると、ファッションセンターしまむらが独自に開発した流通システムを活用できないことも考えられたのです。たとえば、ビル側の都合に左右され、夜間に配送できなかったり、営業時間を決めることができなかったりしたら、ファッションセンターしまむらの良さを十二分に発揮できないおそれがあります。それだけ東京23区など都市部での店舗開発にはリスクがあったのです。
万を持して洋服店のファッションセンターしまむらが東京23区に初めて出店したのは、2009年のことでした。それが、ファッションセンターしまむら高田馬場店です。
▲2009年に東京23区でも店舗開発をスタート。その1号店となった、ファッションセンターしまむら高田馬場店
ファッションセンターしまむらは、東京23区への進出・店舗開発と併せるように、新しい方針も打ち出します。それは、従来のように、実用性が高く良い素材の衣類を集めた洋服店を超えた存在になることです。具体的には、世界にも通用するしまむらブランドを構築するべく、トレンドにもこだわった洋服も揃えようという新方針です。
その新方針は大正解でした。たちまち、東京で大きな反響がうまれたのです。今まで見向きもしなかった、若い女性たちが、ファッション性の高いしまむらの商品をめがけて、次々と、洋服店ファッションセンターしまむらの店舗に買い物にやってきたのです。その状況を加速させたのは、メディアでした。たとえば、益若つばささんら若者たちに絶対的人気があるモデルが、ファッションセンターしまむらの店舗で買い物をする姿がテレビに映し出されたのです。その結果、しまむらの知名度は一気に東京はじめ都市部にも広がり、「しまラー」という流行語までが生まれるほどの、しまむらブームが起きました。
万を持して店舗開発を行った東京23区におけるファッションセンターしまむらの店舗の売り上げは、2014年現在も、概ね好調だそうです。ただ、そこでも洋服店のファッションセンターしまむらは慎重な姿勢を崩すことはありません。店舗開発の後も、毎月売り場の雰囲気を変えて、都会でのニーズや売れ筋商品、都会の若者たちの嗜好を日々研究しつづけ、実験と検証を繰り返しているのです。他の洋服店の多くは、店舗の開店・撤退を繰り返しているのに対し、ファッションセンターしまむらは、85店のうち84店舗ほどが撤退していないという驚異的な店舗生存率を記録していますが、リスクの高い大都市部での店舗開発は、より慎重に進めているようです。
しまむらには、「店舗開発部」という部署がありますが、そのなかに首都圏の店舗開発を専門に行う部隊をつくって、都心部での店舗開発を本格的に進めているようです。数年後、いったい、東京23区はどうなっていくのでしょうか?このままいけば、東京のいたるところでファッションセンタ−しまむらの店舗と出会えるといった状況になるかもしれません。イソップ寓話「ウサギとカメ」のカメが、ウサギに勝負をかけるときがいよいよやってきたようです。